川崎の甚大な公害の経験

京浜工業地帯の中核として日本の高度経済成長時代(1960年代~70年代)を牽引した川崎では、負の側面として急速な環境悪化を招き、大気汚染や水質汚濁などの甚大な公害が起こりました。このような公害問題に対し、各企業や行政などは様々な取組を行い、きれいな空、水など市民が安心して暮らせる生活環境 を取り戻してきました。

川崎の空

川崎の空(1960年代) 川崎の空(2014年)
川崎の空(1960年代) 川崎の空(2014年)

二酸化硫黄濃度の推移

二酸化硫黄濃度の年平均値の推移です。1979年度に市内全域で市が独自に定めている環境目標値(1日平均値が0.04ppm以下)を達成し、以後現在にいたるまで達成・維持しています。

二酸化硫黄濃度の推移

多摩川の様子

当時は家庭用洗剤などの流入により、水質汚濁は深刻でしたが、下水道の普及などにより、水質は大幅に改善しました。現在では多摩川の魅力に親しむ取組を推進しています。

泡であふれた多摩川(1970年ごろ) 水辺の楽校